ご予約・お問合せ 0479-23-5111(代) 受付時間)9:30〜20:00 チェックイン)15:30 チェックアウト)10:00
犬吠埼観光ホテルホームページ
波打ちぎわの天然温泉露天風呂
トップページ
■CALENDAR■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
<<前月 2024年11月 次月>>
■NEW ENTRIES■
■CATEGORIES■
■ARCHIVES■
■POWERED BY■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■OTHER■


携帯からもご覧いただけます

 

「麻賀多神社祭礼」(成田市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「成田市」「麻賀多神社(まかたじんじゃ)」で7月28日(日)に開催されます「麻賀多神社祭礼」です。

 「麻賀多神社」は、「成田市」「台方」にある「神社」です。
 「麻賀多神社」は「式内社」で、「旧社格」は「郷社」、「印旛郡市」にある18社ある「麻賀多十八社」の「惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)」です。
 「麻賀多神社」の「御祭神」は、「和久産巣日神(ワクムスビノカミ)」と「稚日霊命(ワカヒルメノミコト)」(奥宮)です。
 ちなみに「麻賀多神社」の「御祭神」は、「五穀の神様」で「産業を司る神」として知られています。
 また「麻賀多神社」の「神社」の「社紋」が「麻の葉」であることから「安産」や「子供の守り神」でもあるそうです。

 「麻賀多神社」「本堂」の「奥」にある「大杉」は、「御神木」として「樹齢」1300年あまりと推定されており、「東日本一」の「大杉」といわれています。
 古来より「御神木」には「神霊」が宿るといわれ、「延命」・「長寿」の授かることでも「有名」で、昭和10年(1935年)に「千葉県」の「記念樹」「第1号」に指定されています。
 また、1944年(昭和19年)6月10日に「日月神示(ひつきしんじ)」が降ろされた場所としても知られています。

 「麻賀多神社」の「歴史」ですが、「社殿」によりますと、「景行天皇」42年6月晦日、「東征中」の「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」が「当地」を訪れ、「杉」の「幹」に「鏡」を懸け

 「この鏡をインバノクニタマオキツガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」

 と言い、「伊勢の大神」を「遥拝」したのが、「麻賀多神社」の「起源」であるといわれています。

 応神天皇20年、「神八井耳命(カムヤイミノミコト)」の「8世」の「子孫」である「印旛国造」・「伊都許利命(イツコリノミコト)」が現在の「成田市」「船形」に「社殿」を造営し、その「鏡」を「御神体」として「稚日霊命」を祀りました。
 また「伊都許利命」は、「杉の木」の下から「7つの玉」を掘り出し、それを「御神体」として「和久産巣日神」を併せ祀りました。
 この「2神」は「真賀多真(勾玉(まがたま))の大神」と呼ばれたそうです。

 推古天皇16年、「伊都許利命」の「8世」の「子孫」の「広鋤手黒彦命(ヒロスキテクロヒコノミコト)」が、「神命」により現在の「成田市」「台方」に「和久産巣日神」を遷座し、それまでの「社殿」を「奥宮」としました。
 「延喜式神名帳」に「記載」の際、「真賀多真」が「三種の神器」の「ひとつ」と「同名」であるとして、「一字」取って「真賀多神社」と改称し、後に「一帯」が「麻の産地」であることから「麻賀多神社」に「社名」を改めたそうです。

 また「麻賀多神社」という「神社」は、上記のように「印旛郡市」に「台方」をはじめ、「成田市」に1社、「佐倉市」に11社、「酒々井町」2社、「八千代市」1社の計18社を数え、「全国的」に見ても珍しい「名前」の「神社」で、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)の「東側」から「南」にかけてにのみ存在する「神社」です。

 「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)は、「麻賀多神社」「本殿」で行われる「例大祭」を皮切りに、「神官」・「榊(さかき)」・「神輿」・「太鼓」・「山車(だし)」などの「一行」が、「印旛沼畔」の「鳥居河岸」に向けて練り歩きます。
 また「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)「鳥居側」「神楽舞台」では、「ヒョットコ踊り」や「獅子舞」が披露されます。
 ちなみに「麻賀多神社祭礼」で披露される「獅子舞」は、「成田市」の「市指定無形文化財」に指定されています。

 「印旛郡市」にある「麻賀多十八社」の「惣社」「麻賀多神社」で行われる「祭礼」「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「麻賀多神社祭礼」詳細

 開催日  7月28日(日)

 開催会場 麻賀多神社 成田市台方1

 問合わせ 麻賀多神社 0476-28-5736 (1日・15日の8時〜17時)

 備考
 「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)は、平成19年より、7月「最終日曜日」開催となっています。
 また「麻賀多神社」の「社号」の「麻賀多」ですが、「麻の産地」・「麻縣」によるものという「説」、掘り出した「勾玉」を「霊代」としている「説」、「印旛沼」の「潟」から「真潟」という「説」、「豊城入彦命下毛野君弟真若君」から「真若田」という「説」、「御祭神」・「稚日霊命」から「真若」であるともいわれており、「諸説」あります。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1761 |
| 地域情報::成田 | 11:37 AM |
「延方相撲」(潮来市)
 本日ご案内するのは、近隣市「潮来市」「鹿嶋吉田神社」で7月28日(日)に開催されます「延方相撲」です。

 「潮来市」は、古くから「水運陸路」の「要所」として栄え、「大化の改新」のころ「国府」(現在の「石岡市」)から「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)へ通じる「駅路」「板来の駅」を設けたのが「まち」の「始まり」だと伝えられています。
 その昔は、「地名」を「伊多古」「伊多久」と称し、また「常陸国風土記」(2012年6月3日のブログ参照)には「板来」と書かれていたのを、元禄年間に「徳川光圀」公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」と書き改め、今日(こんにち)に至っていると云われています。

 近世になると、「奥州諸藩」の「物産」を集めて「江戸」に向かう「千石船」が「銚子河口」から「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)にて「潮来」に至り、「潮来」で1〜2反帆の「高瀬舟」に「積み荷」の「積み替え」を行い、「前川」(2012年5月26日のブログ参照)は行き交う「大小」の「船」で賑わい、「荷」の「揚げ降ろし」の「船付場」(河岸)が続き「中継港」として大いに「繁栄」をしました。
 しかし、「潮来」が大いに「繁栄」したのは、この江戸時代中期ころまでであり、元文年代(1736〜1740年)の「大洪水」で「利根川」の「本流」が「佐原地方」に移ると、「中継港」としての「機能」を失ってしまったそうです。

 さらに、明治に入って「常磐線」が開通し、「陸運」が盛んになってからは、「水運」は一挙に衰退し、それに「歩調」を合わせるかのようにして「潮来」も寂れてしまいました。
 それ以来、この地方では「産業」らしき「産業」もなかったことから、「地元」の「若い娘」の「収入源」として、「観光客」の「」案内を兼ねて「サッパ」を操ったところ「観光客」に「好評」を博したことから「娘船頭さん」として知られるようになりました。
 昭和30年3月には、「美空ひばり」さんの「むすめせんどうさん」の「ロケ」が「水郷潮来」で行われたのが「きっかけ」となり、「その名」は「全国的」に知られるようになりました。
 この「地方」は、「周囲」を「水」に囲まれた「水郷地帯」であったことから、この「地域一体」には「水路」(江間)が「縦横」に張りめぐらされ、「嫁入り」する際に「花嫁」や「嫁入り道具」を運搬するときにも「サッパ舟」が使われており、昭和30年前半ごろまでは「日常的」に行われていました。
 この「嫁入り舟」(2012年6月1日のブログ参照)が、「全国的」に知られるようになったのは、昭和31年10月に「松竹映画」「花嫁募集中」と「タイアップ」し「ミス花嫁」を「募集」したことが「きっかけ」となり、「花村菊江」さんが歌った「潮来花嫁さん」の「大ヒット」によりさらに「全国的」に知られるようになりました。

 「鹿嶋吉田神社」は、「潮来市」にある「神社」で、「延方相撲」(2012年7月27日のブログ参照)が行われることで「有名」な「神社」です。
 「鹿嶋吉田神社」の「御祭神」ですが、「武甕槌命(たけみかずちのみこと)」と「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を祀っています。
 「鹿嶋吉田神社」は、「延方村」と「島崎村」(現・「潮来市」「延方地区」)の「鎮守」で、また「鹿嶋吉田神社」は「参道」の「桜」が美しいことでも知られています。

 「延方相撲」の「はじまり」ですが、1672年「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)の「三角州」を巡って長い間、「延方」と「下幡木」(神栖市)の「利権争い」が絶えないとき、「幕府」の「評定」により「延方有利」に解決した事から1673年、「感謝」を表す為に、「鹿嶋吉田神社」に「相撲」を奉納されるようになったそうです。

 「延方相撲」の「由来」ですが、以下の通りです。

 江戸時代初期「徳島」一帯(地区)では「漁場」をめぐる「紛争」や、また「農耕地」の「利権論争」、「耕作権」の「問題」など「紛争」が絶えませんでしたが、寛文12年(1672年)7月27日この「紛争」に対して「江戸幕府」より「御評定」があり

 「この地は水戸南領に属す。」

 という「採決」がありました。
 「村人」はこれを喜び合い寛文13年(1673年)「相撲祭」を「延方村鎮守」「鹿嶋吉田神社」に奉納して感謝したことにはじまり、「江戸勧進相撲」の「格式」をもって今日(こんにち)に伝えられています。

 「相撲祭」は、「祭礼」までの約1ヶ月前から種々の「行事」が始められ、「当番地区」においては「見届け行事」に始まり、「神前会議」、「当番誥家開き」、「衣装揃え」、「地取り祭」まで「地区」総がかりで行われるそうです。
 「祭礼」の「当日」、「早朝」より「当番地区」から「神社」までは「宮行司」、「警護」、「世話人」、「総代」、「花相撲」と古式床しい「行列」によって出されます。
 「相撲」は「鹿嶋吉田神社」「境内」「本殿」前に築かれた「土俵」で、「二番勝負」「一番勝負」「新手二人がかり」「小三番」「大三番」など「古式」の「取り組み」48番が取り納められます。

 「延方相撲」「祭礼当日」の「流れ」ですが、「当番地区」から「神社」への「古式」豊かな「行列」が繰り出され、「神事」のあと、3歳から7歳の「小児」による「花相撲」によって「奉納相撲」が開始、その後「古式」に則った「48番」が「奉納」となります。

 「延方地区」の「鎮守」「鹿嶋吉田神社」で奉納される「神事」「延方相撲」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「延方相撲」詳細

 開催日  7月28日(日)

 開催会場 鹿嶋吉田神社 茨城県潮来市新宮1885

 問合わせ 潮来市役所観光商工課 0299-63-1111

 備考
 「鹿嶋吉田神社」「延方相撲」は、昭和39年(1964年)7月31日に「茨城県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1760 |
| 地域情報::鹿島 | 09:37 AM |

 
PAGE TOP ↑

(C) Copyright Inubozaki Kanko Hotel. All rights reserved.